「ひぐらし」に挑め!(未編集)
ひぐらしのなく頃に 鬼曝し編 (2) (カドカワコミックスAエース)
- 作者: 鬼頭えん,竜騎士07
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2006/09/21
- メディア: コミック
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前置きが長くなったが「ひぐらしのなく頃に」である。アニメは見たし聖地も巡礼したのだが、肝心のゲームを私はプレイしていない。現物に触れていないものについて語るのはポリシーに反するのだが、アニメの構成について抱いた違和感について語るいい機会だと思ったので、あえてアニメと今回の漫画の知識のみで語ろうと思う。ゲームをプレイし終えた後に見返した私がどういった反応をするか楽しみである。では、いざ。
言うまでもないが「ひぐらし」はオカルトじみたミステリーである。少なくとも漫画オリジナルのこの鬼曝し編は非現実要素を排したミステリーである。真相(探偵による謎解き)までは主人公が狂気に巻き込まれる様を描くジェットコースター・ストーリーであり、出題編と解答編の二段構成を一本の漫画の筋として落とし込んでいるという意味では「ひぐらし」のツボをよく押さえていると言えなくもない。しかし引っかかったのはまさしくそこなのである。アニメを観る限り、「ひぐらし」の解答編は出題編の答え(犯人、トリック)に視点を移して別の話を作り上げたものだと思っていたのだから。
好みの問題と言われればそれまでなのだが、どのようなジャンルにせよ一度描いたものは事実として扱われるべきではないか。特にこの縛りはミステリーでは重要視されるべきではないだろうか。一人称小説なら主人公の推理ミスという形で処理できる。あえて解決の決め手を書き落とすという方法もあるだろう。しかしアニメや漫画といった視覚情報を視聴者、読者が所有してしまう媒体では、夢落ちでないかぎり、描かれたものは純然たる事実として処理されてしまう。懐が狭いと思われるかもしれない。しかしミステリーという読者や視聴者が探偵とは別に独自の推理を平行して行うジャンルでは、こういった描写の詐術は禁じ手とすべきではないか。そういった理解があったからこそアニメ「ひぐらし」では出題編と解答編が似た筋をなぞりながらも、視点人物を圭一(何も知らないプレイヤー、または被害者)にするか犯人(及び出題編により結末を予め知っているはずのプレイヤー)にするかでその結末が変わったと解釈したのだが。これが前置きの犯行現場の犯人及び殺害方法の書き手による隠蔽の手段に繋がる。一度描いてしまった以上、それをなかったこと(嘘)にし、真相を語りなおすのは「ひぐらし」ひいてはミステリーの精神に反するのではないかと考えたわけだ。
自身でも整理したいので以下解答編に続く。
※あえて遠まわし、あるいは抽象的な表現にしているのはわざとです。漫画を読んでいていただければその内容も分かっていただけるかと。かわりに同じ表現手法を用いた「アベノ橋魔法☆商店街」をみていただいても結構です。